日本とマレーシアの関係性を勉強しよう!

こんにちは。
マレーシア留学サポートセンター
代表の斉藤です。

先日、カウンセリングにお越しになられた
Yさんにひとくち感想をいただきました。

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さて、今日は8月6日の読売新聞に掲載された
マハティール元マレーシア首相の記事をご紹介します。

戦後70年を迎えた今年、
戦争についていろいろと考えた方も多いのではと思います。

なので、マハティール元首相のお話を引用しながら、
ちょっとだけ歴史を復習してみたいと思います。





日本にとっての第二次世界大戦は、
1941年12月8日に日本がハワイ真珠湾を攻撃したことで
始まったことは多くの方がご存じだと思います。

あまり知られていないのですが、
実は同日、日本は当時英国領だった
マレーシアおよびシンガポールにも攻め入っています。

これをマレー作戦と言います。

時間としては実はマレー作戦のほうが真珠湾攻撃よりも1時間20分早く、
太平洋戦争はこのマレー作戦により始まり、
世界史的には第二次世界大戦はこのマレー攻撃により、
地球規模の戦争に拡大しました。



当時のことをマハティール元首相はこう語っています。

「日本が半島南部の「英領マラヤ」を急襲したのは
 1941年12月8日。

 私は高校生だった。

 真っ先に思ったのは「日本は勝てない」ということだ。

 英国は強国だ。

 日本の真珠湾攻撃によって参戦する米国はさらに強い。
 英国の支配下にあった私たちの目には
 「白人は無敵」と映っていた。

 白人に対する劣等感があった。」



その後の日本軍統治については、
このように語っています。

「ところが日本軍は半島を瞬く間に占領する。
 日本軍の侵攻を前にして英国軍は撤退した。

 それを私は目撃し、大いに驚いた。

 「白人が敗北することもある」。
 それを私は日本の侵攻で学んだ。」



「無論、日本の侵略は私たちにとって不幸な事態だった。

 英領時代、住民の大半は生活に満足していた。
 3年半の日本軍占領時代、食料は不足し、皆貧しかった。
 私たちは英国やインドなど外の世界から切り離され、
 孤立を味わった。」





日本が敗戦したあと、
マレーシアは英国領の植民地に戻りました。

その後、独立運動がおこり、
1957年8月31日にマレーシアは独立します。

「独立実現後、国造りを考えるうちに、
 駆け足で戦後復興を成し遂げた日本をぜひ見たくなった。

 61年、医院を2週間閉め、日本を訪問した。
 (マハティール元首相は元医師)

 東京五輪に向けて高速道路羽田線の建設が進んでいた。
 武田薬品工業が便宜を図ってくれ、
 松下電器産業(現パナソニック)を含む日本企業を見学できた。

 日本人の勤勉さ、企業経営の巧みさに感心した。

 「侵略は過去の出来事。目を未来に向け、日本に学ぶべきだ」

 と痛感した。」



1961年というと戦後16年が経過し、
1964年の東京オリンピックに向けて、
日本全体が前だけを向いていた時代です。

(私はまだ生まれていませんが、、、)





その後、国会議員になったマハティール元首相は
何度も日本を訪れ、
日本人の勤勉性に感銘を受けたそうです。

「81年に首相に就任した。私は権限を握った。

 日本での実地観察を生かす時が来た。

 日本を手本に、マレーシアを発展に導く覚悟は出来ていた。

 「ルック・イースト政策」を打ち出した。」



この「ルックイースト政策」。

戦後、高度経済成長を実現した日本を見習おうという政策ですが、
当初は「見習うなら欧米でしょ」という声もあったようです。

そんななかマハティール元首相は周囲を説得。

多くのマレーシア人を国費留学生として、
日本に留学させました。

日本の技術や職業倫理を学んだ留学生は
マレーシアに戻ったのち、
政府や企業の要職に就き、
マレーシアの発展に貢献します。

マレーシアが親日国というのは、
こうした留学生が日本のファンになり、
よい関係が続いているからなんです。

マハティール元首相は22年間首相をつとめ、
マレーシアの近代化を大きく推進します。





余談ですが、
マハティール元首相の日本好きは
首相を辞めた後も続きます。

なんと一国の元首相が
パン屋さんをオープンさせます。

「え、パン屋??」

って思いますよね。

というのも日本を訪れた際に、
日本のパンに感動したそうで、
それをマレーシアの人々にも食べてもらいたいと思い
オープンされたそうです。

私がはじめてマレーシアに行った10年前には
そんなお店はまったくなかったですが、

いまではマレーシアで日本のパン屋さん的なお店が
どこにでもあります。




ここまでお話してまず思うことは、
マハティール元首相の懐の深さです。

いつまでもマイナスを引きずるのではなく、
日本を学ぶべき相手としてみてくれた。

この点はその後の日本とマレーシアの関係性を
決定づけたと思います。



そして、見本たる日本を作ってくれた
先人への感謝です。

日本人のパスポートを「世界最強」と呼ぶ人もいますが、
世界中でよい関係を築いてきた証拠です。

海外にでて、他の国の人々が外国に行く際の手間の話を聞くと、
そのことがよく分かります。

僕たちもそのあとに続かないといけないなと
心から思います。





また、こうした日本とマレーシアの歴史って
意外と知られていません。

もしかしたら、

「え、マレーシアって日本の植民地だったの?」

という方も多いのではと思います。

当センターのマレーシア留学経験のあるスタッフは
留学中にマレーシア人の友人から、

「日本ってむかしマレーシアに攻め入ったんだよ。」

って言われて知ったとのこと。

こうした歴史をある程度知っておくことは、
留学する際にとても役立ちます。

よりマレーシアのことを知ることができますし、
現地でできた友人といろんな話をするときに、
より深い話をすることができたりします。



あと海外に行くと、
自国の歴史についても聞かれることが多く、
あまりに知らなさすぎるとちょっぴり恥ずかしいです。

少なくとも日本とマレーシアのこうした関係を
知っておくことはマレーシア留学する際に、
必要なことだと思っています。





今日はめずらしく難しそうなお話をしました。

「わたし、歴史苦手なんです~」

というウチのスタッフにも分かりやすく
お話したつもりなんですがいかがでしたか?

たまにはこんなお話もいいかな、
と個人的には思っています。



下記の読売新聞のマハティール元首相の記事を読むと、
もっとよく分かりますよ。

記事はこちらです。

http://www.yomiuri.co.jp/matome/sengo70/20150805-OYT8T50066.html?from=osusume




マレーシア留学サポートセンター
代表 斉藤 高志



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