自己紹介
私は現在34歳、長崎で大学院生をしております。北海道で生まれ育ち、宮城県仙台市の某大学を卒業して理学療法士という国家資格を取得しました。父は消防士、母は看護師という家庭で育ったので、病院で働くことに元々憧れがありました。夢であった白衣を着て病院勤務を始めました。22歳のときでした。大好きな仕事に就けて、職場のスタッフにも恵まれ、充実した毎日を送っていました。
ちょうど社会人5年目を迎えたころです。きっと、仕事に“慣れ”てしまっていたのだと思います。そして私は、新しい科(整形外科)での経験を積もうと、職場を変えました。やはり最初は知らないことばかり。毎日苦労がありながらも刺激的な毎日を取り戻すことができました。
こちらの職場で3年目を迎えたころ、私は再び何か違和感を覚えるようになりました。最初の職場を退職したときとは少し質の異なる心境でした。28歳になった私は、毎日自問自答していたのです。「俺はこの仕事を一生続けたいのか?」と。私が出した答えはNoでした。子供の頃にひそかに抱いていた夢を思い出したのです。それは、「世界中を飛び回るような仕事をする」ということでした。
さっそく私は行動を起こしました。もう、次の行動は既に決まっていました。それは、青年海外協力隊に行くこと。JICAが世界中の開発途上国に青年からシニアまでのボランティアを原則2年間派遣する制度です。書類応募締め切りまでは1週間を切っていましたが、なんとかすべての書類をそろえて提出しました。選考試験に合格した日、職場に退職願を出しました。国内の訓練所で2カ月の訓練を受け、晴れて初の海外へと旅立ちました。初?はい、それまで私は海外に行ったことがなかったのです。
派遣先はベトナム社会主義共和国でした。2年間、暑くてつらくて、でも刺激的な毎日を送ることができました。この国はベトナム語を使用する国ですので、私も語学の習得に励みました。今ではかなり後悔しているのですが、2年間まったく英語を勉強しませんでした。だって、現地では使えませんから。
マレーシア留学への決断
2年間の任期を終えて日本へ帰国。32歳。無職。さてどうしたものか。実は帰国直前から進学することを考えていました。今後はボランティアではなくプロとして国際保健の分野で仕事をしたいと思い、その登竜門として現在所属している大学院を受験しました。奇跡的に合格をいただきましたが、合格通知から入学まではまだ半年の猶予がありました。しかも、今年から大学院の授業はすべて英語で行われることに。ヤ、ヤバい。
ベトナムへの派遣前から、ほとんどゼロに近かった英語が、2年間現地語をたっぷりと吸収したことにより、さらに悲惨なものとなっていたのです。ワン、トゥー、スリーですらつっかかり、英語で自己紹介などしようものなら3割くらいはベトナム語の単語に邪魔される始末。このままではマズいと思いました。
そうだ!留学しよう!そうだ、その手があった!呆れるほどの単純思考。さっそくYahoo!でマウス片手にカチカチと調べ始めました。お金はなるべくセーブしたい・・・。無職だし。最初に検索に引っかかってきたのは、やはりフィリピンやフィジーの格安留学。うーん、定番すぎるし、日本人が多いのは嫌だなあと思い始めていたところ、やけに目立つサイトを発見。マレーシアで英語留学!?
自信満々で腕組みする斉藤代表の写真とご自身の留学エピソード。うーん。怪しい。怪しすぎる。けど、なんか気になる。でもマレーシア人ってそもそも英語話すのか?費用もフィリピンより高そうだな。っていうか、学校の質ってどうなのよ?という疑問で頭が埋め尽くされたとき、私は既に相談フォームにカタカタと自分の名前や住所を打ち込んでいました。悲しいかな協力隊生活でさらに身についてしまった恐るべき行動力・・・じゃなくて計画性の無さ。
やはりモットーは「考える前に跳べ!」でした。その2週後にアポが取れて、文字通り北海道から羽田に飛び(・・)、恵比寿のオフィスで斉藤代表にカウンセリングしていただきました。この辺のお話しは他の方の体験談を読んでいただくとして、とにかく私は「じゃあ、お願いします。」と即決してしまいました。なんか怪しいけど、この人の実体験に基づくアドバイスは信じていいかな、思えたのでしょう(笑)。
THE マレーシア生活初日
金銭的余裕もなかったので、大学院入学までの半年のうち、3カ月は地元の病院でアルバイトをし、残りの2カ月半をマレーシア留学に充てることにしました。サポートセンターのオプションで「クアラルンプールの空港についてからは現地のスタッフがホテルまで迎えに参りますのでご安心ください。」と言われていた私。てっきり日本人スタッフかと思い、到着ゲートを出てキョロキョロしてみたがそれっぽい日本人は見当たらない…。やっぱり騙された。詐欺だったのだ…。
実は恵比寿のあの事務所もニセモノで…なんて考えていたら私のネームカードをもっているマレー人のおじさんが立っているのに気が付きました。ああ、なるほどね、日本語が話せるマレー人がスタッフなのね、と思っておじさんに近づいていくと、120%英語でキタ——————————!!いきなり現実を突き付けられ困惑。気を遣ってゆっくりしゃべってくれているようでしたが、車内で私は生きた心地がしませんでした。車も飛ばす、飛ばす。少し死すら覚悟しました。ゆっくり走って!と英語でおじさんに伝える自信すらなかったのです。
なんせおじさんの顔が怖い。あんまりニコニコするタイプじゃないのね。やっぱり騙されたのかな。このままどこかに連れていかれてボコボコにされて、希望に満ちた俺の未来はもう・・・などとまたひとり暗くなっていると、急に社外の景色がパアッと明るくなりました。だ、大都会すぎるぜ、クアラルンプール!!
到着が夜だったこともあり、ツインタワーがやけに眩しく見えたのを覚えています。ドライバーのおじさんが「何か食べよう、腹減っているだろう」と気にかけてくれて、マレーシアのミルクティー「テタリ」とマレーシア式クレープ「ロティ・チャナイ」をごちそうになりました。最後に記念写真をパチリ。おじさん、やっと笑ってくれた・・・。
何かの間違いか。とんでもない高級マンションで車を降ろされました。すると中国系(?)の女性が近づいてきて、英語をまくしたてられる。どうやらこの人は同じ学校の学生で、私が本来入るべき学生寮は空きがないので、一時的にここの空き部屋を使うよう学校に指示されたらしいことがわかりました。実は日本のスタッフさんから日本を発つ直前に電話でその旨連絡をくれていたのですが、そんなことはすっかり忘れていました。後でこの中国系と思われた女性が、ハルナ(仮名)という純日本人だったとわかるのです。お恥ずかしい。しかし、いい部屋だったなー、ここ。
学校初日、、、
私はSheffield Academyというオーストラリアに母体をもつ本格的な語学学校に入りました。さっそく、個室に通され、リスニングとリーディングのテストを受けさせられる。何故かスピーキングのテストは特になし。待たされること30分、イラン人のS先生が突然やってきて、その場で答案をしばし眺め…「よし、君はintermediate classだ。次の授業からあの教室に入りなさい。」と。言われるがまま教室に入り、軽く自己紹介。先生はインド系の女性。
クラス分けテストをして6段階の内ののしかるべきクラスに入ったはずが、最初は周りのペースに全然ついていけませんでした。というよりも、今自分が何をすべきなのか、何を答えたらよいのかもさっぱりわからない状態が続きました。
最初はこんなもんだろうと覚悟していたものの、いつも一人だけパニックになっていました。そんなとき、助けてくれたのは周りの自分より10歳近く若そうな日本人の学生達でした。さりげなくサポートしてくれたみんなにはいまでも感謝しています。
少しずつ授業のやり方に慣れてきた2週間後、何かの事情で先生が入れ替わりました。初日に私を地獄のクラスに押し込めたイラン人S先生と、イギリス人の男ST先生。このお2人は厳しくて、クラスの途中で何度も逃げ出したくなったけれど、今思えば一番熱心に教えてくれていたなー思います。
S先生は授業が終わる16時以降も補講をときどき開いてくださり、日本人が苦手とする「th」や「RとL」の発音などを徹底的に指導してくれました。S先生の英語は非常に聞きやすく、特に文法の授業は本当に為になりました。よく言われることですが、文法と発音は非ネイティブの講師に習う方がわかりやすいと思います。
ネイティブには感覚的にしか説明できないことも、非ネイティブなら論理的に説明できることがあります。これから皆さまが学校を選ぶときには是非参考にしていただきたいポイントです。
とはいえ、やはり英国人ST先生の授業も刺激的でした。映画を見ながらネイティブしか使わないような表現をどんどん拾っていく練習や、巨大ショッピングセンターKLCCでネイティブの人に突撃インタビューするというユニークな野外授業も企画してくれました。あの授業のお陰で、知らない人に英語で話しかける勇気が身に付きましたね。
この学校ではおよそ2カ月ごとにIELTSの模擬テストがあり、上のクラスに進級できるかが決まります。私はなんとか1つ上のupper inter mediate classに上がることができ、他のクラスメートよりも2週間早くテストを受けさせてもらって帰国となりました。
最初に受けたIELTSは3.5、次が5.0、そして最終的には5.5まで達しました。内部の先生による採点なので、本物の試験よりは採点が甘いのかもしれませんが、それでも数字として成長が感じられたのは嬉しかったですね。
マレーシアの良いところ
●学生の出身国のバリエーションが広い!
なんといってもマレーシアはイスラム教の国ですので、中東や北アフリカ、西アジアの国からも留学生が来ます。先ほど、日本人学生が多いと書きましたが、時期によっても違います。なにより他国から来る学生の方が圧倒的に多いので、いろんな国のアクセントに触れることができます。将来多くの国の人々と関わるような計画をお持ちの方には非常におススメなポイントです。面白かったのは、6月のラマダン(イスラム教徒が日の出から日の入りまで何も飲まず食わず、禁煙で過ごす1カ月)を迎えたときに、中東系の学生はほとんど学校に来なくなりました(笑。これも文化ですので、先生たちも特に何も言いません。その分学費は無駄になりますが。
私の住まいであったシェアハウス(サービスアパートメント)も面白かったですよ。私はなんと、3人の女性と一緒に暮らしていました(笑。トイレ、シャワー、キッチン、洗濯機は共同。3人の出身国はボツワナ、インドネシア、カザフスタンとワールドワイド。まあ、国が違えば文化も違うわけで、いろいろと苦労もありましたが今となってはいい経験だったと思います。
※写真:ボツワナ人のルームメート、共同キッチン
●明確な夢を持って学びに来ている学生に刺激を受けられる。
これは、とても大事なポイントだと思います。私の周りでは、パイロットを目指すリビア人男性、キャビンクルーを目指す日本人男性、シンガポールで仕事しようと思っている人日本人女性、起業を考えている日本人女性など、様々な目標を持っている人がいました。 また、意外に多いのがマレーシア国内の大学院進学を狙っている人たち。彼らは出願の際にIELTSのスコアが非常に重要なので、英語に取り組む姿勢も真剣そのものでした。
一方で、シニアのご夫婦で入学されたカザフスタン人もおられました。いくつになっても新しい挑戦に遅いなどということはないと教えられた気がします。
●マレーだけでなく、インド、中華文化も。
マレーシアは、マレー系マレー人、インド系マレー人、中国系マレー人からなる多文化共生国家です。共通語はマレー語または英語ですが、彼らはそれぞれヒンディー、広東語、(北京語、四川語、福建語)を使って同じ人種同士で会話します。宗教もイスラム、ヒンズー、仏教など、多様な文化に触れることができるのはここ、マレーシアの大きな魅力言えます。私はカレーが大好きなので、よく学校帰りにインド系マレー人が経営するカレー屋さんに通っていました。一皿300円前後でお腹を満たせます。
※セルフ式のカレーライスとテー(紅茶)
●紀伊国屋書店と映画館in KLCC!
楽しくて毎日のように通っていました。割高ですが、日本語の本もあります。
映画館は、学生証を提示するとなんと300円で見られます。2カ月半の滞在中に10回以上見に行ったと思います。当時はミニオンズ、Mission Impossible 6、Jurassic Worldなんかがやっていましたね。字幕はマレー語と中国語です。
●英字新聞が無料で読める!
毎朝LRTという電車で学校の最寄り駅まで通っていたのですが、改札近くで毎朝お試し読みの英字新聞が配布されていました。毎日手にとり、1日1~2記事を読むように心がけていました。
●他にも、治安の良さ(とはいえひったくりなどの犯罪には注意)、比較的便の良い交通、気軽に国内・外旅行に行ける環境も魅力的でしたね。
マレーシアの悪い点
マイナス面は、大概が自分の姿勢次第でなんとかできたことが多いです。
●日本人学生が多い
これは入学当初、正直本当にがっかりしました。ですが、私のクラスには幸い意識の高い人が多く、英語しか話さない人が多かったのでそんなに気にならなくなりました。一方で、学校で日本語を話す人たちとはなるべく距離をおいて過ごしていました。だって、せっかくマレーシアまで来ているのにもったいないですから。
これは本人の心がけしだいでなんとでもなりますし、いまや日本人がいないアジアの留学先をさがすのは困難です。マレーシア国内でクアラルンプール以外の場所を選ぶという手もありますが、授業の質や交通の便など妥協しなくてはならない要素も出てくると思います。
●クラス分けの弊害、少人数制ではないところ
表向きは英語のレベルによって、1クラスあたり10~20人で構成されるということになっていました。とはいえ、クラスの中でも英語の実力には差があるので、特にspeakingが苦手な人はなかなか発言するのが大変かもしれません。その代り、発言する度胸をつけるにはもってこいの環境でもあります。やはり本人の取り組み方によって、長所にも短所にもなると思います。
●準備不足
これは、完全に自分自身の反省です。現時点であまり英語に自信がない方がマレーシア留学をする場合、最低でもTOEIC600~700点レベルの単語、中学3年分の英語文法はしっかりとおさらいしてから行かれることを強くお勧めします。余裕があれば、IELTSの形式にも少し慣れておくとよいでしょう。
●安くない物価
マレーシアは中進国です。日本と比べれば物価は安いですが、住居や食費はそれなりにかかります。外食をすると日本と同じかそれ以上の代金を支払うこともあります。
マレーシアから帰国後、、、
今私は、日本の大学院に毎日通っていますが、英語で講義を受け、英語でディスカッションし、英語の研究論文を読み、英語でレポートを書いています。正直、いまこの瞬間も英語に苦労していますが、あのマレーシア留学があったからこそなんとかやっていけているという感覚はあります。あの自己紹介すらままならなかった自分が、今はヘタクソながらも国際保健に関するテーマについて外国人留学生たちと共に意見交換をするまでになりました。今年3月にはフィリピン、そしてケニアにてフィールド研修に行ってきました。またつい先週には、長年の夢であった国際緊急援助隊の一員として、コンゴ民主共和国で活動する機会も得られました(コンゴ民は仏語圏でしたが…)。
来年1月からは再びケニアに8カ月滞在し、インターンシップと修士研究を行う計画を立てています。もう、英語からは逃げられない人生になってしまいました(笑。
これらどのイベントも、マレーシア滞在時には全く想像もつかないことでした。人生とは自分が望む通りに引き寄せられていくものなのだなあ、と最近特に強く感じます。ナポレオン著「思考は現実になる」や、ロンダ・バーンの「The Secret」が以前ベストセラーになりましたが、人間は本気で望んだことを実現できるということを、私は20代の頃にも増して強く信じています。